今日だよね?才能について教えてくれるの!
今日は来るのが早いな。
もちろん覚えておるぞ。
今日のテーマは“才能”を知るということじゃ。
だってハカセ、
「だれでも才能がある」
って言ってたからさ!
ほんとにぼくにも才能があるんだよね?
“あるかもしれない”じゃなくて“絶対ある”てことでしょ?
才能はどんな人にも絶対あるんじゃ。当然マナブにもな。
もし気になることや不安になることがあるならマナブが納得できるまで質問するんじゃよ?
じゃあさっそくやっていこう!
目次
才能のない人なんていない
先にひとつ、マナブのことを聞かせてほしいんじゃが、マナブは自分のことを“才能のない人”じゃと思っておるのはなぜじゃ?
得意なことなんてないから。
クラスにはぼくより勉強できる人もいるし、スポーツが上手な人もいるし、みんなから人気がある人もいる。
ぼくはどれも人並みだったり、人並みすらなかったりするからさ。。。
なんにも才能がないって思っちゃうのはあたりまえだよ。
たぶんほとんどの人はそう思ってるんじゃない?
人気のある子、スポーツ万能の子、成績優秀な子。
そういうふうに学校で活躍できる子とそうなれない子でなぜ分かれるのか。
それについてもちょうど今日話したいと思っておったんじゃ。
それも絶対教えてほしい!
まずは前提のところからじゃ。
もったいぶらないで早く教えてよー!
マナブにしっかり理解してほしいんじゃよ。
はじめに
“才能の正体とはなんなのか”
そこから話そう。
才能は個性が根源となる
自分のことを“凡人”と思っている人は多い。
マナブもそのひとりじゃな。
その人たちは“自分の才能に気づいていない人”なんじゃ。
まず大前提として
“才能は個性から生まれる”。
そこまでは前回話したから大丈夫じゃな?
世の中には
“個性のない人なんていない”
ということじゃ。
じゃから必然的に才能のない人もおらん、
ということになるんじゃよ。
どんな人にも必ず個性は存在する。
もちろんその人にもまちがいなく個性はある。
おそらく育ってきた環境で自分の意見や主張を押し込める場面が多くてクセづいてしまったんじゃろう。
個性は“色”のようなイメージじゃ。
たとえば同じ“赤”という色でも“
その人はまだ自分の個性という色に気づけておらんのじゃな。
淡い色じゃと目立ちにくいじゃろう?
たしかに淡い色って言われるとわかりやすいかも。
才能の見つけ方
そう言われてもなぁ。。。
“だれにでも個性があるから
だれにでも才能がある”
ていうのさ、
頭では理解できるんだけど、やっぱりどうしても自分に才能があるなんて思えないよ。
もうちょっと具体的に教えてほしい!
これだけじゃと納得できんじゃろうからもう少し踏み込んで話そう。
わしの考える“才能の見つけ方”。
それをわしも今日マナブに伝えたいと思っておったんじゃ。
それ絶対知りたいやつ!
ここを納得できんことには他の話をいくらしても入ってこんじゃろうしの。
個性というものは
“他の人にはない自分が持っている
“人とはちがう自分の特徴”と言い換えることもできるじゃろう。
どんな人でもたくさんの特徴を持っておる。
特徴の中には当然“良い特徴”も“悪い特徴”もある。
要するに“長所”と“短所”じゃな。
人よりも劣っているところを“短所”、
と呼ぶ。
たとえば、“真面目”や“責任感がある”なんかは長所といえるし、“
「自分には才能がない」と思っておる人は、自分の短所ばかり見ていて長所に気づいておらんということじゃ。
たぶんぼくもそうだし。。。。
自分の才能を見つけるために重要となるのが“リフレーミング”じゃ。
短所を長所に変換する方法じゃ。
短所を長所に変換。。!!
そんな魔法みたいなことほんとにできるの?!
マナブは表現豊かじゃな。
ああ、本当にできるとも。
ジリアン・リンさんのエピソードを覚えておるかの?
学校にはうまくなじめなかったけど、お医者さんに勧められたダンスを習ったら世界的に活躍した人だよね?
バッチリ覚えておるの。
そのときに「マナブにもなにかの才能がある」って言ってくれてたもんね!
ジリアンさんのエピソードの教訓は「“コンプレックス”と“才能”は表と裏の関係」。
つまり、
「才能はコンプレックスの裏側にある」
ということじゃったの。
“コンプレックス”と“才能”は表と裏の関係
だれにだって、良いところもあれば悪いところもある。
そうやって見方を変える方法のことを“リフレーミング”というんじゃ。
どんな短所でもリフレーミングによって長所に生まれ変わる。
自分が自覚しておる自分の性格があるじゃろ?
まずは自分の長所も短所もすべて紙に書き出す。
書き出し終えたら、長所はそのまま右側に書き、短所はリフレーミングして長所に書き直すんじゃ。
そうすることで“全部が長所になった自分の性格”というものが完成する。
リフレーミングってすごいんだね!
全部が長所になったら、長所と長所をかけ合わせるんじゃ。
複数の長所をかけ合わせてできた長所は、自分しか持っていない特別な長所になる。
これが才能の正体なんじゃ。
そんなカンタンなことなんだ!
でもそれならもっとたくさん才能開花できちゃう人いるんじゃない?
ここで注意しなければいかんのは、
“才能は才能だけじゃ開花しない”
ということじゃ。
“種”はそのまま放っておいても花は咲かんじゃろ?
花を咲かせるためにまず必要となるのが、土や気候といったその種に合う“環境”じゃ。
そして成長には欠かせない“水”と“光”じゃ。
つまり
才能が“種”なら、
知識が“水”、
スキルが“光”、
得意分野が“環境”、
にあたるわけじゃな。
才能を開花させるには、長所と長所をかけ合わせるだけじゃなくて、才能っていう種を育てるってことが必要なんだね。
“蒔かぬ種は生えぬ”というやつじゃな。
才能を育てる行動をせずに大きな成果は得られない、というわけじゃ。
種(才能)にとって適した環境(分野)を見つけたなら、必要な水(知識)と光(スキル)を与えて大切に育てていくんじゃ。
すると美しい花(大きな成果)が咲くんじゃよ。
だからこそ“自己分析”がとても大切なんじゃ。
手ごたえのイメージとしては“化石の発掘”じゃな。
才能もその感覚に似ておるんじゃよ。
じゃから「絶対化石(自分の才能)を見つけるんだ!」という強い気持ちでしっかりアンテナを張っていないと見逃してしまう。
それと、もし「ここに化石(自分の才能)は絶対にある!」とか「まちがいない!ちょっとだけ見えてるこれは化石(自分の才能)だ!」と確信したのなら、たとえ他の人に「そこはいくら掘っても出てこないからやめときな」と言われたとしてもあきらめずに自分を貫き通してほしいんじゃ。
決してやってはいけないこと
才能開花からいちばん遠ざかってしまうことじゃ。
マナブ、なにかわかるか?
“自分には才能がないって思い込んじゃうこと”とか?
それも含まれるじゃろう。
決してやってはいけないのは
“自己否定すること”じゃ。
言い換えるなら、“自分に対して自分自身で責めてしまうこと”じゃな。
まちがいや失敗したときに“自分の行動”を改めるのはとても良いことじゃ。
じゃが、まちがいや失敗をしたからといって、“自分自身”を悪者にしちゃいかんのじゃよ。
具体的に言うのなら、
「こんな簡単な問題も解けないなんて、自分はポンコツだ」
「今日も宿題サボっちゃった、ぼくはどうしようもない人間だ」
「欲に負けて深夜にお菓子食べちゃった、わたしはダメ人間だ」
ということじゃ。
こういう考え方は絶対にしてはならんのじゃ。
いついかなるときでも絶対に“自分だけは自分の味方であること”じゃ。
たとえ自分がまちがえようが、失敗しようが、サボろうが、
悪いのは“自分自身”ではない、“自分の行動”じゃ。
“自分の行動”と“自分の
まちがった行動をしたとき、行動と人格を結びつけて「こんなまちがいをしてしまったのは自分がダメな人間だからだ」と自分の人格のせいにしてしまいがちじゃが、それは良くない。
“行動”ならすぐに変えられる。
でも“人格”や“アイデンティティ”というのは基本的に変わらんのじゃよ。
アイデンティティとか人格とか個性とか、いろいろあって混乱してきた!
どうちがうの?
たしかに似ておるからな。
ちがいをまとめるとこんな感じじゃな。
- アイデンティティ
- 本当の自分。“自分”とは何者か。
- 個性
- 人とちがう自分の特徴。
- 気質
- 生まれつき持つ個人的な感情・感情・思考・行動の傾向。
- 性格
- 生まれつきと成長過程で持つ感情・思考・行動の傾向。
- 人格
- 社会的な思考・行動の傾向。
これらすべて“簡単には変えられない”ということじゃ。
じゃがそれ以外も急に大きく変わることはなく、成長とともにゆっくり少しずつ変化していくものなんじゃ。
これらは簡単に変えられないからこそ、大切にしてほしいんじゃよ。
じゃから、たとえどんなまちがいをしてしまったとしても、“行動”と“人格”を結びつけて“人格”のせいにする、ということをやってはいけない。
あくまでも“行動”がまちがっただけ。
じゃから「自分の“行動”を改めよう」と思えばそれでいいんじゃよ。
なぜこうなったのかを調べ、考え、そして自分なりの答えを出す。
どんなことがあろうとも“自分の人格は自分で守ってあげる”ということが大切なんじゃ。
もし自己否定したらどうなっちゃうの?
「自分なんてどうせ何をやっても上手くいかない」
こういった自己否定する考え方を持ち続けていると、どんどん自信を失っていき、行動する勇気やモチベーションがなくなり縮こまった人生になってしまう。
それに、対人関係においても良くない影響があるじゃろう。
自分より幸せそうな人を見たときに、うらやましいという気持ちと絶対に自分はそうなれないという思い込みから、「なんだよ、あんなに幸せそうにして」とだんだん
人を攻撃したってなんの解決にもならないことを心のどこかで感じていても、その方法でしか自分の存在を示せなくなってしまったのかもしれない。
悪い感情が自分の心を支配してしまっているんじゃ。。。
絶対に自己否定しないよ!
“個性と人格にはやさしく、行動と環境にはストイックに”
じゃ。
この考え方をすることで、自分自身の成長につながり幸せな人生に近づくと思っておる。
わかった!覚えとく!
適性タイプと成功者パターン
なぜ学校には“人気のある子”や“スポーツ万能の子”や“成績優秀な子”もいれば、そうなれない子もいるのか。
その話をしようか。
人間には6つの適性タイプがある、
と考えておる。
6つの適性タイプ
人それぞれ自分の才能や能力を発揮できる活動方法がちがっておる。
それを大きく6つに分けたものがこの適性タイプじゃ。
適性タイプには、学識、研究、文芸、創造、表現、運動の6つがあるんじゃ。
割合は人によってちがうんじゃが、大体第一適性が半分以上を占めておるケースが多い印象じゃな。
その得意分野を見つけるための方向性となるのが自分の適性タイプじゃな。
得意なことを好きになる、というのはそれほど難しいことじゃない。
得意分野じゃと他の人よりも結果が出しやすいし、自分の生み出したものが人に必要とされ世の中の役に立つことができれば、きっとやりがいを感じて好きになれるはずじゃ。
自分の価値の最大化、つまり自分の才能を開花させることがいちばん大きな成果を生み出せる。
じゃから「どの分野なら稼げるか」ということを考えるより先に、「どの分野なら自分の才能を最大限に活かせるか」と考えることから始めるほうが良いんじゃないかとわしは思っておる。
自分の才能に気づきにくい人
その子たちはどういう子じゃと思う?
だれにでも才能はあるんだから、才能がないわけじゃないんでしょ?
だめだ、わからない。。。
さっき見せた適性タイプの図があるじゃろ?
学校という環境で自分の適性を活かせるのは、
図の右側にある“表現”、“運動”、“学識”の子たちだけ、ということじゃ。
“表現”の子は高いコミュ力と自己表現で適性を活かし、
“運動”の子は体育や部活でのスポーツでで適性を活かし、
“学識”の子は5教科のテストで適性を活かす。
それ以外の子は自分の適性を活かす場が学校にはほとんどないんじゃよ。
学校って社会に出るために全部教えてくれるところじゃないの?!
でも教えてくれる内容としては、“社会人として必要なすべてのこと”というよりは、“社会人として最低限必要な一部のこと”という表現がいちばん近いかもしれない。
だれかのことを思い出さないか?
あ!ジリアンさんだ!
ダンサーは“運動”や“表現”の適性タイプを持つ。
じゃから本来は学校で適性を発揮しやすい。
じゃが、ジリアンさんは裏方の振り付け師。
おそらくジリアンさんは“運動”以外の適性タイプが“創造”や“研究”じゃったんじゃと思う。
それゆえ“運動”の適性タイプを持っていながらも、学校の中では自分の適性を活かせず、苦しい学生時代を経験をされてしまったんじゃろう。
でもほんとにジリアンさんは自分の才能が見つかって良かったと思ったよ!
ジリアンさんのように自分の才能に気づきにくい人がいる。
その多くが学校で自分の適性をほとんど活かせない“研究”、“創造”、“文芸”の子たちじゃ。
その子たちが「自分にはなんの才能もないんだ」と思ってしまうのは無理もないんじゃよ。
じゃが、自分には才能がないと思っている子たちほど眠っている才能が大きいといえるんじゃ。
この図を見てほしい。
さっき言ったとおり学校という場では一部のことしかしない。
つまり自分の個性の一部しか知ることができないんじゃ。
“氷山の一角”ということじゃな。
そこに長所、つまり才能が眠っておる。
じゃから自分のことを才能がないと思っている人ほど隠れた才能は大きいものなんじゃよ。
それってどうやれば見つけられるの?
自己分析によって本当の自分を知ることで隠れた才能を見つけられる。
じゃがその前に絶対的に持つべき意識がある。
“自分には才能がある”という意識じゃ。
この意識がすごく大事なんじゃ。
いかに同世代に優秀な人がいようとも、若くしてスーパースターになってる人がいようとも、みな個性もちがえば才能もちがうから関係ない。
「自分にはなんの才能もないんじゃ。。」なんて思う必要はまったくないんじゃよ。
個性は人とはちがう部分。
個性のとんがった部分や出っ張った部分、それこそが才能じゃ。
でもみんなとのちがいが大きければ大きいほど、それに対して「人とちがって恥ずかしい」とか「みんなとちがうからダメなんだ」という気持ちが働いてコンプレックスに感じ、その部分を活かすどころか隠そうとしてしまうものなんじゃ。
ジリアンさんのエピソードで伝えた”コンプレックスと才能は表と裏の関係”ということにつながるんじゃよ。
さっき話したとおり、学校でやらない分野には気づきにくい。
じゃからこそ、自己分析をして自分の才能を見つける。
そして見つけたら大切に大切に育てていくんじゃ。
周りと比較して焦って早く育てようとしてはいかん。
それはかえって遠ざかってしまう。
自分と自分の才能に合った成長スピードで育てるんじゃ。
適性に応じた職業
6つの適性にはそれぞれ適性に合う職業がある。
今日はその一例を紹介しよう。
上に挙げた職業はすべて適性タイプが1つだけのものじゃ。
じゃが、人が3つの適性を持っているように、職業のほうも複数の適性タイプを持つこともある。
マナブが目指そうとしておるYouTuberはまさにそうじゃな。
映像制作は創造、出演は表現、データ分析は研究じゃからかなり複合的な職業と言えるじゃろう。
自分の3つの適性タイプがそのまんまYouTuberの適性タイプに当てはまるってすっごく確率低そう。。。
YouTuberじゃなくてもいいからさ!
ぼくは楽しくてやりがいのある仕事したいんだ!
どういう道があるの?
4つの成功者パターン
“エリート型”
“スーパースター型”
“クリエイター型”
“オーナー型”
の4パターンじゃ。
6つの適性ごとに相性の良い成功者パターンがあるんじゃよ。
- エリート型
- 自分が培った知識・スキルが商品となり、お金を生む
- 活動のピーク年齢は40代前半
- 高学歴が必要
- メリットは収入の安定、社会性が強くどの人にも印象が良い
- デメリットは職業次第で自由ややりがいが得られにくい
- 例:弁護士、医師、国家公務員など
- スーパースター型
- 自分自身が商品として表舞台で活動し、お金を生む
- 活動のピーク年齢は20代半ば
- 学歴はほぼ無関係
- メリットはやりがいがある、名声を得られる
- デメリットは職業次第で加齢とともに活躍しにくくなる
- 例:アイドル、アスリート、インフルエンサーなど
- クリエイター型
- 自分が作った作品が商品となり、お金を生む
- 活動のピーク年齢はジャンルによる
- 学歴はほぼ無関係
- メリットはやりがいがある、名声を得られる
- デメリットは職業次第で自分以外の代役や後継ぎができない
- 例:漫画家、映画監督、デザイナーなど
- オーナー型
- 自分の資産に働いてもらい、お金を生む
- 活動のピーク年齢はなし
- 学歴はなくても可能
- メリットは時間の自由、収入に限界がなく富裕層になりやすい
- デメリットは一部の人からの偏見がある
- 例:ビジネスオーナー、起業家、投資家など
オーナー型だけはゆいいつ自分の適性に関係がない成功者パターンなんじゃよ。
つまり、自分に合う成功者パターンというのは、“自分の第一適性に合う成功者パターン”と“どの適性の人でもなれるオーナー型”の2つ、ということじゃ。
自分がどの山の頂上を目指したいのか、ということじゃな。
じゃから自分の適性に合う成功者パターンがそれ以外なら自力で道を切り開いていくんじゃ。
適性に合わないエリート型を目指すべき例外ケース
実は例外ケースがあるんじゃよ。
じゃが、自分の適性に合う成功者パターンが“エリート型”でなくても“エリート型”を選んだほうがいい、というケースがあるんじゃ。
“安定を得る”ということは“結婚”というもの大きく関わる。
じゃから4つの山を決める前にまず決めるべきは、“安定・安心の道”か、“自由・手ごたえの道”かじゃ。
それによってその先の選択肢が大きく変わってくるんじゃ。
片方が上がればもう片方が下がるシーソーみたいものじゃな。
例えばビジネスで成功してから温かい家庭を持つとかさ!
あくまでも手に入れやすさのちがいじゃからな。
どちらにも100%注ぐことはできないというだけであって、そういうふうに順序を決めたり、バランスを調整することはできるじゃろうな。
どっちを優先したらいいのか。。。
なにか判断する基準はないの?
“社会性”を重視するか、それとも“自己実現”を重視するかじゃな。
- 社会性とは
- 他人との関係や集団生活をうまくやっていこうとすること
- 自己実現とは
- 自分の中にある“自分らしさ”を最大限に追求し実現すること
そのほうが相手の
やはり大切に育てた我が子に幸せになってほしいと思うのは親として当然のことじゃ。
「安定した職業を選ぶ人は堅実な人だろうからきっとうまく大丈夫だろう」と相手の親御さんに思ってもらえる。
たとえ本人同士は「愛する相手と一緒にいられるだけで幸せ」と思ったとしても、やはり生活をしていくためにはお金がどうしても必要になる。
人生経験のある親はそのお金の苦労を知っているから“収入が不安定”とかそういうお金のことで苦労してほしくないんじゃよ。
エリート型を目指すなら公務員か民間企業か
それよりもまず、“公務員”を選ぶか“民間企業”を選ぶかで大きなちがいがある。
“公務員”と“民間企業”を比べるとこうじゃ。
- 公務員
- メリット
- 安定性がある
- 福利厚生が充実している
- 社会的信頼性が高い
- デメリット
- 従事する業務が決まっている
- 昇進に時間がかかる
- 働き方に制約がある
- メリット
- 民間企業
- メリット
- 給与水準が高い
- 自由度が高い
- スキルアップがしやすい
- デメリット
- 安定性に欠ける
- 長時間労働が多い
- 給料に見合わない働き方になる恐れがある
- メリット
ただ、たとえ大手有名企業に入ったからといって安心しきって会社の行く末をまったく気にしなくなってはいかん。
そうなるとタイタニック号のようなことになってしまう。
まあマナブの年齢じゃムリもないかもしれんな。
昔、タイタニック号という豪華客船が沈没してしまう痛ましい事故があったんじゃ。
それによって多くの人が亡くなった。当時過去最大の死者数じゃったそうじゃ。
その事実をもとに映画化もされておる。
そのくらい世界中を
おっきな船でもそんなことになっちゃうんだね。
じゃが可能性はゼロじゃない。
自分の乗っている船が大きければ大きいほど安定していて安心感はある。
でも安心しきってしまってはいかんのじゃ。
大手企業に入ったしても、自分や家族を守るため、“自分の会社がどこへ進もうとしているのか”、“時代がどう流れているのか”ということにアンテナを張っておく必要があるんじゃよ。
マナブが目指したい成功者パターン
なんか進みたい方向が見えてきたかも!
オーナー型を目指したいマナブ
それとさ、“オーナー型”ていうのが自分のなりたい大人に近い気がする!
ぼくオーナー型を目指すよ!
いろんな知識を身につけてからでも遅くはないから、「オーナー型を目指す」というのは仮決定くらいにしておこうな。
マナブが高校生になって自己分析をしてビジョンを定めるときになったらまた一緒に考えよう。
なぜオーナー型を目指す人が少ないのか
みんな憧れそうな気がするけど
日本人は良くも悪くも“空気を読む”という国民性を持っておるから、同調圧力が特に強い国と言えるじゃろう。
大半の人が親や学校が望む“エリート型”を選ぶ。
じゃから“エリート型”以外の道を選ぶと、その人は周りの人たちから“変わり者”として見られてしまうんじゃよ。
前言ってたドリームキラーだよね?
夢の叶え方の話のときに伝えたものじゃ。
それとビジネスオーナーに関しては、世の中にいるビジネスオーナーたちが
「こんな魅力的な仕事は他にない、絶対なるべき!」
と思ってたとしても言わないかもしれん。
よくビジネスの世界で“パイを奪い合う”とか“大きいパイを取る”という表現をする。
アップルパイとかの食べ物のパイにたとえたものじゃ。
ビジネスオーナーの魅力を伝えれば伝えるほど自分の会社がパイを取れなくなる可能性が高くなるわけじゃから気づいてほしくないんじゃよ。
自分や家族の生活だけじゃなく、従業員全員の生活を背負っておるからな。
ライバルを増やして自分の会社が傾いてしまう、ということがあってはならんのじゃよ。
成功者から学ぶべきこと
じゃが、失敗してしまう典型的な例が
“自分の憧れの人をそのままなぞる”
ということなんじゃ。
その憧れの人が自分とまったく同じ適性タイプなら問題ない。
じゃが、多くの場合が自分の持つ3つの適性タイプと同じではない。
3つの適性タイプのパーセンテージまでピッタリ一致する、とまでになると限りなくゼロに近い確率じゃ。
自分の適性タイプと合っていないと成果が出にくいから、「なんでうまくいかないんだ!成功してるあの人と同じようにやってるのに!」となる可能性が高いんじゃ。
“意識”や“思考”であれば、たとえ適性タイプが自分とちがっていても関係なく学べることはあるんじゃ。
じゃあ成功までのプロセスを木に例えよう。
意識が根、思考が幹、行動が枝、成果が実にあたる。
なにもない状態から実ができることはないじゃろう?
実ができるには枝が必要で、
枝ができるには幹が必要で、
幹ができるには根が必要、ということじゃ。
成功のプロセスもこれと同じなんじゃよ。
まず意識があり、
意識の後に思考、
思考の後に行動、
行動の後に成果がある。
つまり、成功者の作った作品ややってることを見よう見まねでマネしても、目的や意図や考え方を理解せずに上手くいくことはないんじゃ。
もし仮にたまたま運よくなにかの拍子で成果(実)を生み出せたとしても、土台ができてない状態じゃと遅かれ早かれその成果(実)は枯れてしまうじゃろう。
すぐに消えてしまった成功者を見たことはないか?
成功者が日々、なにを意識し、どんなことを考えているのか、ということを学ぶことから始めるんじゃ。
それと、一人だけの成功者よりも多くの成功者から学んだほうが良いじゃろう。
共通する部分はより正解に近いじゃろうからな。
その学びをもとに、最終的に自分で考えて自分で答えを導き出すんじゃ。
がんばってみる!
成功者になるために
マナブが気になっておった「才能はだれしもあるもの」というのは納得できたか?
ぼくにもなにかの才能が絶対あるって思ったら自信が湧いてきたよ!
自分を信じる力を持つ
そのエネルギーがプラスの“意識”や“思考”や“行動”へと変わり“大きな成果”を生む。
成功に導いてくれるんじゃよ。
じゃから大切にしてほしいんじゃ。
だれだって自分に実績があれば自信になる、それは当然のことじゃ。
じゃがはじめはだれもが実績ゼロからスタートとなる。
実績もなく自信を持つ、というのはとても難しいんじゃ。
聞こえは良くないんじゃが、実績がない状態での自信のことを“根拠のない自信”と呼ぶんじゃ。
この“根拠のない自信”を持てる人こそが成功しやすいんじゃよ。
自分を信じるって大事なことなんだね!
これからはどんなことがあっても自分を信じることにするよ!
じゃあ気をつけて帰るんじゃぞ。
まとめ
今日のテーマは“才能の見つけ方”について。
前回ハカセは「才能はだれしもあるもの」と言った。
その言葉にマナブはこんな自分にも絶対才能があるんだとワクワクして今日を迎えた。
才能がなぜだれにでもあると言えるかというと、才能は個性が根源で、強さはさまざまであれ個性はだれにでも必ずあるものだからだとハカセは言う。
そもそも才能とは何か。
ハカセが言うには、長所と長所をかけ合わせたもの、それが才能の正体。
才能を見つけるために自己分析が必要。
その一つが短所を長所に変換する“リフレーミング”という方法。
ただ、才能は才能だけじゃ開花せず、才能っていう種を育てる必要があると言う。
種(才能)にとって最適な環境(分野)を見つけ、必要な水(知識)と光(スキル)を与えて大切に育てることで美しい花(大きな成果)が咲く。
決してやってはいけないことは自己否定。
たとえ間違えても失敗してもサボっても、悪いのは“自分自身”ではなく“自分の行動”。
“行動”と“人格”を切り離して考え、“自分の人格は自分で守ってあげる”ことが大切。
ハカセの持論として、6つの適性タイプと4つの成功者パターンがあると言う。
適性タイプは学識、研究、文芸、創造、表現、運動の6つ。
学校では自分の適性を活かせるのは表現、運動、学識の人たちのみ。
「自分には才能がない」と思っている人ほど隠れた才能は大きいもの。
まずは自己分析から始めて、自分の才能を見つける、そして大切に育てる。
たとえ同世代に成功している人がいても焦らずに自分のペースで育てていくことが大事。
成功者パターンはエリート型、スーパースター型、クリエイター型、オーナー型の4つ。
エリート型は学識、研究の適性を持つ人、
スーパースター型は表現、運動の適性を持つ人、
クリエイター型は文芸、創造の適性を持つ人に向いている。
オーナー型だけは適性に関係なくどんな人でもなれる。
この4つのうち、自分がどの成功者を目指したいのか。
自分の適性に合わない成功者パターンを選ぶという例外ケースがある。
それは“早く結婚したいから安定を求めている”というケース。
そういう人は自分の適性に関わらずエリート型を選ぶべき。
エリート型の職業の中でも、公務員かクリーンな大手有名企業だと結婚相手の親の印象が良いだろうと思われる。
ここまでのハカセの話を聞いて、マナブはオーナー型を目指すと決意した。
まだ将来について考える段階でないため、ハカセは焦ることはないと言うが、本人はすっかりその気になっているようだ。
マナブは自分になにかしらの才能があると確信を持てたことで自信が湧いた。
ハカセはマナブに
「“自信”は“自分を信じる力”のこと。
その“自信”がとてつもないエネルギーを生み出し、成功に導いてくれる」
と伝え、マナブはどんなことがあっても自分を信じることにすると心に決めた。