それについて話してみようか。
そういうの考えるの好きだから楽しそう!
人生の目的とは
「ぼくってなんのために生まれてきたんだろう」って。
でも結局答えが出なかったんだ。
大人の人なら“家族のため”とか“仕事のため”とかそういうのがあるのかもしれないけどさ。
子どものぼくにはまだそういうのがないからさ。
でも“人生の目的”ってさ、“人によってちがう”ていう結論にならないかな?
“幸せに生きる”という目的
ただこれだけは共通して言える、ということがある。
それは“幸せに生きる”という目的じゃ。
だってそりゃ不幸になりたい人なんていないもん!
マナブがいま言ったように
“不幸になりたい人はおらん”
言い換えると
“みな幸せになりたい”
ということじゃな。
これはたしかな事実じゃ。
ここから考えることがいいと思わんか?
“幸せに生きること”。
つまり、これはもう答えが出ておるんじゃ。
じゃあ、答えが出てないのはなにか。
それは“自分にとっての幸せな人生とはなにか”ということじゃ。
人それぞれ“幸せの形”がちがうんじゃよ。
お互い意見交換しながら一緒に考えてみよう。
“幸せに生きる”とは
不幸になりたい人はいなくても、たとえば
「恋人とか友だちとかいろんなものを犠牲にしても、おれはプロのミュージシャンで成功するんだ!」
ていうおっきな夢を持ってる人もいるでしょ?
だからこの人にとっての“人生の目的”は”成功すること”とか“夢を叶えること”なのかなって。
わしがマナブくらいの年齢ではそこまで考えつかなかったものじゃよ。
人それぞれ“幸せの形”がある
それは“価値観”じゃ。
“価値観”とは、
「自分にとってなにが大切か」
「どんなことを大切にしているか」
という“物事の価値についての考え方”のことじゃ。
自分の大事にしているものによって、自分の求める理想像が決まるんじゃな。
つまり、価値観は人それぞれじゃから、理想像も人それぞれになるんじゃ。
。。。。あ!そうか!
だからハカセさっき“幸せの形”って。。。
そうなんじゃ。
理想像がひとりひとりちがうから、“幸せの形”もまたひとりひとりちがう。
ひとりひとりの“幸せの形”があるんじゃよ。
どうじゃろう?
伝わったじゃろうか?
ハカセが最初に言ってた
「”人生の目的”は”幸せに生きること”」
ていうのやっと納得できた!
幸せに生きるために
自分にとっての“幸せの形”を見つける
幸せな人生を送るためには、自分にとっての“幸せの形”を見つけることじゃ。
“自分らしい人生”を送る、とも言い換えられるじゃろう。
なんか“幸せ”ってもの自体がふんわりしてない?
ぼくもたまに“幸せ”を感じるときはあるけど「“幸せ”ってなに?」って聞かれるとよくわかんないかも。
幸せ”って“満足”みたいなもの?
そもそも“幸せ”とは
“満足”と“幸せ”はまったく同じものではないんじゃが、たしかにとてもよく似ておる。
“満足”は“幸せの一部”と捉えてよいじゃろうな。
“幸せ”は自分の心が満たされたときに感じるものじゃ。
一方、“満足”は自分の欲求や要求が満たされたときに感じるもの。
“満足”の場合、心の一部も満たされるんじゃが、頭の中で考えていることや思っていることが実現する、という意味じゃとどちらかといえば頭のほうが満たされておる状態じゃろうな。
うれしさや喜びといったポジティブな感情が生まれるという意味ではどちらも共通しておる。
その感情が“幸せ”のほうが“満足”よりも大きくて、心の全体で感じておるような状態じゃろうな。
じゃから“幸せ”というものは自分の心が基準なんじゃ。
目に見えるわけじゃないから、自分がどのくらい“幸せ”かなんて、他人はもちろんじゃが、自分自身ですらカンタンには把握できないんじゃよ。
じゃからまだ“幸せの形”が定まっていないマナブが「幸せはふんわりしたもの」と感じるのはそのとおりなんじゃ。
そもそも幸せは“手に入れるもの”ではなく“感じるもの”じゃ。
“幸せの形”に明確な
それゆえに
イメージとしては“自ら掴み取りに行く”というより“じんわりと
じゃあどうすればいいの?!
なんにもできることないんじゃ。。。
じゃから日常の中で自分が幸せを感じられる瞬間を自分自身で作ってあげるんじゃ。
ハカセが考える“4つの幸せ”
わしは大きく分けると4つの幸せがあると考えておる。
“五感の幸せ”
“活動の幸せ”
“生存の幸せ”
“つながりの幸せ”
じゃ。
- 五感の幸せ
- 目・耳・鼻・口・肌の感覚によって感じられる幸せ
- 例:美しい景色を観る、心地良い音楽を聴く など
- 生存の幸せ
- 食事や睡眠などの心身の健康によって感じられる幸せ
- 例:お腹いっぱい食べる、たくさん寝る など
- 活動の幸せ
- 思考や行動などの活動によって感じられる幸せ
- 例:夢中になれることをやる、やりがいのあることをやる など
- つながりの幸せ
- 人や動物などの生き物と関わることで感じられる幸せ
- 例:仲の良い友だちと話す、愛する人と時間を過ごす など
じゃあ「いま幸せだなぁ」って感じたらこの4つのどれかってこと?
1つのときもあるし、2つや3つ同時のときもある。
たとえば旅行なんかは複数の幸せじゃな。
現地の美味しいものを食べて、現地の人と交流して、普段やらないことを体験して、旅行というものの中でいろいろな種類の幸せを感じられるじゃろう。
じゃあさ、物を集めてる人はどの幸せなの?
スニーカー集めてる人とか推しのグッズ集めてる人いるでしょ?
ぼくもポケモンカード集めてるんだけどさ!
そういう人は“活動の幸せ”と“五感の幸せ”じゃな。
手に入れにくいものを入手する“達成感”。
そして、それが集まっていく“目で感じる喜び”。“
この2つの幸せを感じておるはずじゃ。
美味しいものを食べている時に幸せを感じる人。
休みの日に思う存分寝た時に幸せを感じる人。
大きなことを成し遂げる時に幸せを感じる人。
大切な人と時間を過ごしてる時に幸せを感じる人。
とさまざまじゃ。
それがひとりひとり“幸せの形”がちがう、ということなんじゃ。
じゃから、
自分とっての“幸せの形”を理解した上で
自分が幸せを感じやすい時間だったり空間だったり状況だったりを自分自身で作ってあげる
ということが大事なんじゃよ。
なんか“幸せ”っていうもののイメージがだんだん湧いてきたかも!
“幸せ”のイメージが掴めてきておるようでなによりじゃ。
注意点1:成功=幸せではない
気をつけてほしいこと1つ目は、
“成功”と“幸せ”は別物、ということじゃ。
“成功すること”と“幸せになること”はイコールではないんじゃ。
たしかにわしはそう言った。
じゃが、それは彼にとって“プロのミュージシャンとしての成功を目指す”ということが“自分らしい人生”であるからじゃ。
“成功すること”は夢や目標にはなっても、それが“幸せになること”とイコールにはならんのじゃよ。
じゃあわかりやすく“成功者”という言葉にしよう。
マナブは“成功者”と聞くとどんなイメージじゃ?
スポーツとか音楽とかでキラキラ活躍してる人だったり、
会社の社長でお金いっぱい持ってる人かな。
みんながあこがれる人って感じ!
わしもおんなじようなイメージじゃ。
“成功者”には定義があるわけじゃないが、一般的には目標を達成した人や地位・名声・富を得た人などを指すじゃろう。
では、自分も他人も認める“成功者”とはどんな人じゃろう?
わしは“目標達成した人”のことを“成功者”と呼ばないと思うんじゃ。
その人も成功者って言えるんじゃない?
目標が小さければ周りは“成功者”と認識できないんじゃ。
それってちょっと極端すぎない?
じゃあ“成功”ってなんなのさ!
これは“成功”と“幸せ”のちがいをまとめたものじゃ。
- 成功とは
- 自分の成果や状態が人よりも明らかに優れた状態
- 人生の“目標”になるもの
- 数値化しやすい
- 自分と他人の比較が基準となる
- 幸せとは
- 自分の意欲が満たされていて心が豊かな状態
- 人生の“目的”になるもの
- 数値化しにくい
- 自分の心が基準となる
注目してほしいのはそれぞれのいちばん下にある“基準”のところじゃな。
成功は“他人と自分の比較”が基準となるんじゃが、幸せは“自分の心”が基準なんじゃ。
さっき言ってたやつだ!
どれだけ成功して他の人より裕福であろうと自分の心が満たされなければ幸せではないし、たとえなんの成功もせずに平凡な生活を送っていても自分らしく生きられてその生活に自分自身が満足できていればじゅうぶん幸せなんじゃ。
つまり、周りの人がどうであろうと関係なくて、自分自身の心が満たされているかどうかで自分の幸せが決まる、ということなんじゃ。
掲げていた目標を達成して成功者と呼ばれるような状態になったとき、「あれ、自分はなんのためにこんなに頑張ってたんだっけ?」と努力の目的がわからなくなりその先の人生の行く末を見失う。
心に大きな穴がぽかんとあいたようにむなしくなってしまうんじゃ。
じゃあさっきのミュージシャンはどっちなの?
プロのミュージシャンになれたとき幸せなの?
それともむなしくなっちゃう?
彼の場合はどちらのケースもあり得るじゃろう。
彼の夢は
「おれはプロのミュージシャンで成功するんだ!」
じゃ。
じゃから、
“ミュージシャン”が目的なのか
“成功”が目的なのか
そこが分かれ目じゃな。
“ミュージシャン”が目的なら幸せだけど
“成功”が目的ならむなしくなっちゃう
ってこと?
じゃあ“成功”ってダメなものなんだね。
“成功”というもの自体は決して悪いものではない。
「人より努力して、人より大きな成果を出したい!」という志はとても誇るべきものじゃ。
わしがマナブに知ってほしいのは、“成功”は“幸せ”になる為の手段、ということじゃ。
わしはマナブに
「せっかく頑張ってやっと成功したのになんで幸せじゃないんだろう」
とはなってほしくないんじゃ。
“どのくらい幸せか”
“どのくらい大切にしているか”
“どのくらい信頼しているか”
“どのくらい愛しているか”
本当に大切なものというのは数字にできないもののほうが多いじゃろう?
そういう心の豊かさは測れないんじゃ。
逆に成功は数字にしやすい。
たとえば“全国1位”だったり“売上1億円達成”だったり。
数字として見えるから手ごたえは感じやすいじゃろう。
じゃが目先の数字ばかりにとらわれていると本当に大切なものを失ってしまう。
あくまでも人生の目的は“幸せ”になることじゃ。
“成功”を目標にすることはあっても、目的にしてはいけないんじゃ。
結局そこに戻るんだね。
じゃからもし比べるとしたら
“他の人”と比べるのではなく、自分が将来なりたい“理想の自分”と比べるんじゃ。
“成功したい気持ち”は大事。
それよりもっと大事なのが“成長したい気持ち”なんじゃ。
その気持ちを大切に持つことで“幸せ”に近づけるじゃろう。
注意点2:社会人としての正解=自分の幸せとは限らない
それは“幸せな未来像”の思い込みじゃ。
たとえば
「一流大学に進学して、大手企業に勤めて、結婚して、家庭を持つんだ!」
と目指しておる高校生の青年がいるとしよう。
周りの人たちはその青年にどういうイメージを持つじゃろう?
そりゃ親とか先生もみんなその青年のこと「立派な子だ」って思うでしょ!
友だちだってみんな「アイツはえらいよ」って言うんじゃない?
おそらくマナブの言うとおりじゃろう。
じゃがその青年にとってそれは本当に幸せな人生なのか?と思うんじゃよ。。。
怖いこと言わないでよ!
どういうこと??
“一流大学に進学して、大手企業に勤めて、結婚して、家庭を持つ”ということが“幸せな未来像”というイメージがあるじゃろう。
わしはそれがステレオタイプじゃと思っておるんじゃよ。
要するにその青年は社会や周りの大人たちから“幸せな未来像”のイメージを植え付けられてしまっておる可能性があるんじゃよ。
だってその青年が本当に「そういう大人になりたい!」と思ってる場合だってあるでしょ?
それが本人にとってのいちばんの“幸せの形”ならまったく問題はない。
自分が「どうしたいか」「どうなりたいか」というイメージを持っておくことが大事なんじゃ。
もしそのイメージがないときに、親や教師から“一流大学に進学して、大手企業に勤めて、結婚して、家庭を持つこと”が“立派なこと”と言われるとどうなるじゃろうか?
おそらく多くの場合が「じゃあこれが自分の進むべき道だ!この道を進めばきっと幸せになれるんだ!」と思い込んでしまうじゃろう。
その道が自分の“幸せの形”に近づく道ではない可能性のほうが高いんじゃよ。。。
じゃあ思い込まないようにするにはどうすればいいのさ!
「この人生の選択に納得できるか」
ということを自分自身に問いかけてほしいんじゃ。
もし「この道じゃない」と少しでも感じたのなら、自分が進むべき道はどんな道かをとことん考える。
自分の中にある、自分の中にしかない、自分にとっての“幸せの形”。
それに真剣に向き合ってほしいんじゃよ。
前に教えてくれたマナブの夢はマナブ自身が考えたものでまちがいないじゃろうか?
じゃあこのまま進めよう!
先人たちの”死に際の後悔”から学ぶ
たとえばこれから先、人生の大きな分かれ道があるってときに、どの道を選んでも後悔しちゃいそうな気がするんだ。
わしだって過去に人生の選択でまちがえてしまったことは何度もあったからな。
過去に生きた先人たちだってそうじゃ。
後悔を残したまま人生を終えたという人もたくさんおるんじゃよ。
かわいそう。。。
じゃからこそ彼らよりも未来を生きておる現代のわしらはその教訓を活かすべきじゃ。
長い歴史の中で、先人たちが死ぬ前にどんなことに後悔したのかを知る。
そこから学べることがあると思うんじゃ。
どんなことを後悔しちゃったの?
たくさんの患者さんの最期を
みな死に
それは、“自分に正直に生きなかったこと”じゃったそうじゃ。
自分の価値観から作る“自分らしい人生”じゃ。
“自分らしい人生”?
さっき言ったとおり、価値観は“自分にとってなにが大切か”というもの。
自分の価値観は自分のものでありながら、自分自身でも気づくのが意外と難しいものなんじゃ。
失って初めてその価値に気づくこともある。
そのくらい気づくのが難しいからこそ、自分の価値観を自分で見つける必要がある。
自分にとってなにが大切かを自分自身で理解できておらんことには、それを大切にすることはできないじゃろう?
“自分らしい人生”にするためにはそこから始まるんじゃ。
“自分らしい人生”を送るために
もうちょっと“自分らしい人生”ってものがなんなのか教えてほしいな。
どうやったら“自分らしい人生”になるのかとかさ!
おさらいじゃが、
“自分らしい人生”はみなちがう、ということ。
自分にとってなにが大切かという“価値観”、
自分がどうありたいかという“夢”、
これらはだれひとりとしておんなじじゃない、ということ。
ここまでは大丈夫じゃろうか?
ハカセ考案の“生き方ピラミッド”
“自分らしい人生”を送るためにどうすればいいか。
マナブがいちばん気になるところじゃろう。
わしが長年かけてたどり着いた結論がこれじゃ。
なんかわかんないけどすごそう!
どういうものなの?
上から順に見て
1段目が夢
2段目が価値観
3段目が才能(得意なこと)
4段目が知識・スキル
じゃ。
上にあるものほど、自分の人生にとって欠かせない重要なものと思ってよいじゃろう。
このピラミッドってだれでも使えるの?
“生き方ピラミッド”はだれでも使えるものじゃよ。
自分らしい人生を送るためにはみなこの構成になるからな。
要するに、
自分らしい人生を送るために
必要な要素や重要度はみなおんなじで
“夢”はなにか
“価値観”はなにか
“才能”はなにか
“知識・スキル”はなにか
といった中身だけがみなちがうということじゃな。
“生き方ピラミッド”のてっぺんが“夢”ってことだから。。。
じゃあ夢を叶えた姿=“自分らしい人生”ってことだよね?
“自分らしい人生”を送るためのピラミッドなんでしょ?
微妙にちがいがあるんじゃよ。
“旅行”をイメージしてみてほしいんじゃ。
たとえば「アメリカ旅行をして自由の女神を見に行くんだ!」という人がいるとする。
その人は自由の女神の見えるところまでヘリコプターみたいなものを使ってピンポイントで行って帰ってくるということをするじゃろうか?
おそらくしないじゃろう。いくらお金があってもな。
それでは旅行にならんのじゃよ。
“自由の女神を見に行くこと”が目標
“自由の女神を見に行くためのアメリカ旅行”が目的
なんじゃ。
このたとえ話は“自分らしい人生”にどうつながるの?
話を戻すとじゃな、
“夢”が人生の目標
“夢を持って生きること”が人生の目的
になる。
つまり、
自分の“生き方ピラミッド”を作った上で、そのてっぺんにある夢を目指すこと自体が“自分らしい人生”
ということなんじゃよ。
“自分らしい人生”?
夢というのは「自分はこうなりたいんだ!」という理想のイメージのことじゃ。
夢を叶えて理想の自分になれたのなら、もちろんそれは素晴らしいことじゃ。
じゃが、本当は“夢を持って生きる”ということに意味があるんじゃ。
自分の持つ夢を叶えるために考えて行動し続けること。
それこそが、“自分らしい人生”であり、幸せに生きること。
つまり、“人生の目的”じゃと言えるじゃろう。
自分がどうなりたいのかをまず知る必要があるんじゃ。
自分が向かうべき先のイメージを描かないことには、そこに目指すことができないからな。
じゃからそのイメージをもう描けておるマナブは、その時点でマナブ自身の力で自分の人生を一歩前に進められておるんじゃよ。
なんにも出ないよ?
さっき気づくのが難しいと言った“価値観”も自己分析で知ることができるんじゃよ。
自己分析に関しては、わしのプランではマナブが高校生になったら一緒にやるつもりじゃ。
自己分析かぁ!
自己分析で知りたいことって生き方ピラミッドの中身ってこと?
少しだけ話しておこうか。
自己分析で知りたいことは、
自分は何が好きで、
何が得意で、
何が大事で、
どうありたいか。
つまり、
“好きなこと”
“得意なこと”
“価値観”
“夢”
の4つじゃ。
- 夢
- 自分のありたい姿
- 価値観
- 自分にとって大切なものは何か
- 好きなこと
- 自分の興味が湧くこと
- 得意なこと
- 自分の才能が活かせること
でもこれ、生き方ピラミッドの中身とちがくない?
生き方ピラミッドにある“知識・スキル”がないよ。
それに“好きなこと”ってのも増えてるし。
まず“知識・スキル”に関してじゃ。
“知識・スキル”というものは“夢”を叶えるために必要なものじゃ。
あとから身につけるもので、初めから持っているものではないから、自己分析で知るものではないんじゃよ。
“好きなこと”に関しても理由があるんじゃが、“ライフプラン”のことに関わるんじゃ。
近いうちに“ライフプラン”の話をするから、この理由を話すのはそのときでもいいじゃろうか?
右側にあるやつなんだろうって思ってさ。
ビジョンは夢の話のときに教えてくれたけど、他のはなにかなって!
これはピラミッドの中のそれぞれの要素をもっと強力なものに変換させられるんじゃ。
自分にとって、
“夢”は“ビジョン”となり、
“価値観”は“信念”となり、
“才能”と“知識・スキル”は“強み”となる。
すごい!パワーアップできるんだ!
ポケモンの進化みたい!
これらがあるとより“自分らしい人生”に近づくことができるからの。
“ビジョンを目指すこと”を、“目的地を目指すこと”に置き換えるとイメージしやすいじゃろう。
“目的地”が“ビジョン”
“地図”が“価値観”
“コンパス”が“信念”
になるんじゃ。
“強み”はなにになるの?
まあしいて置き換えるなら、
“目的地にたどり着くための能力”
といったところじゃな。
ビジョン(目的地)と
価値観(地図)と
信念(コンパス)
が明確になったなら、その次に必要となるものがある。
そのひとつが今度話す“ライフプラン”なんじゃ。
“目的地までのルート”となるものじゃな。
それと、もうひとつは“スモールゴール”。
“目的地までのあいだの道しるべ”となるものじゃ。
この2つあるとどう役に立つの?
“ビジョン”の達成が実現しやすくなるんじゃ。
つまり、夢を叶いやすくしてくれる、ということじゃな。
じゃからとっても重要なものなんじゃよ。
めっちゃ大事じゃん!
なんで生き方ピラミッドの中にないの?
この2つがない“ビジョン”は“ビジョン”とは呼べないじゃろう。
目的地となる“ビジョン”
道しるべとなる“スモールゴール”
ルートとなる“ライフプラン”
コンパスとなる“信念”
地図となる“価値観”
じゃ。
これらが自分らしい人生を送るための必要なすべてじゃよ。
- 目的地 ▶︎ ビジョン
- 道しるべ ▶︎ スモールゴール
- ルート ▶︎ ライフプラン
- コンパス ▶︎ 信念
- 地図 ▶︎ 価値観
価値観と信念のそれぞれの役割
“価値観”は地図で
“信念”はコンパスでしょ?
この2つ似てない?
どっちかだけじゃダメなの?
たしかにこの2つはよく似ておる。
わしはどちらも必要じゃと思っておるんじゃが、たしかに自分の価値観がしっかり理解できておるなら価値観のほうだけでもいいかもしれんな。
改めて“価値観”と“信念”のちがいを整理しようか。
“価値観”は「自分にとってどのくらい大切なもの」というものじゃな。
それに対して、
“信念”は「自分にとってこれが正しいんだ!」というもの。
ここまではよいな?
じゃあそれぞれをもう少しくわしく見ていこう。
まずは“価値観”じゃ。
自分の人生にとってどのくらいの価値かを表すもの、それが“価値観”。
いわば“自分ものさし”じゃな。
自分がそのものに対して“丁寧に扱いたい”と思う気持ちがどのくらいあるかを測ってくれるもの。
“価値観”の具体例としては、
「家族との時間を大切にしたい」
「健康的な生活を大切にしたい」
「自由な生き方を大切にしたい」
などがある。
“信念”とは、自分の人生にとって正しいかどうかを表すものじゃ。
こっちは“自分ルール”と言えるじゃろう。
自分の考えや行動が“正しい”か“まちがい”かをジャッジしてくれるもの。
“信念”の具体例は、
「人の信頼を裏切らないこと」
「どんな人にでも尊敬の心を持つこと」
「自分に嘘をつかないこと」
などじゃな。
- 価値観とは
- 自分にとって“何が大切か”という考え方
- 自分が“丁寧に扱いたい”と思う気持ちの大きさ(アナログ的)
- 自分の心の中にある
- 自分の人生の“ものさし”となる
- 例:家族との時間を大切にしたい、健康的な生活を大切にしたい、自由な生き方を大切にしたい など
- 信念とは
- 自分にとって“これが正しい”と信じるもの
- 自分の思考や行動が“⚪︎”か“×”かジャッジする境界線(デジタル的)
- 自分自身で定める
- 自分の人生の“ルール”となる
- 例:人の信頼を裏切らないこと、どんな人にでも尊敬の心を持つこと、自分に嘘をつかないこと など
中には人生の分かれ道となる大きな選択をすることもあるじゃろう。
そのときに
自分にとっての価値を測ってくれる“自分ものさし”(価値観)
自分が行こうとする道が“正しい”か“まちがい”かジャッジしてくれる“自分ルール”(信念)
この2つどちらもあったほうが、より豊かな人生に送れるじゃろうからわしはどちらも必要と思ったんじゃよ。
行き着く先は“他者貢献”という生きがい
すごく難しい話になってしまうからまだ話さないつもりじゃったが、せっかくじゃから話そうか。
できるだけシンプルに説明するがそれでもいいか?
“他者貢献”とは、自分の強みを活かして人のためになる行動をすることじゃ。
これは綺麗事でもなんでもなく人に備わってる欲求なんじゃ。
誰かを楽しませたい、喜ばせたい、幸せにしたい、役に立ちたい。
そういう欲求じゃ。
人や社会に貢献することがなによりも幸せだと思える。
最終的にはみなそこに行き着くものなんじゃよ。
ボランティア活動も立派な他者貢献じゃ。
さっき言ったとおり、“夢を持って生きる”ことが“自分らしい人生”じゃ。
じゃから“夢を持って生きる”ということはとても素晴らしい、それにはたしかなことじゃ。
夢がどういうものかは人それぞれじゃが、多くの場合が夢は“自分のため”にある。
“人のため”にある他者貢献は、夢を持って生きることより大きな幸せを感じることができるんじゃ。
“自分のため”だけに生きる人生でも、努力が実って大きな成功をしたり富を得たりすることである程度は幸せになれる。
じゃが、それでは限界があるんじゃ。
あるところまで行くとどれほどの成功を成し遂げようともどれほどの富を得ようともそれ以上心が満たされることはないじゃろう。
だれしも初めはその頂点を目指したい。
それが“自分らしい人生”じゃからの。
「自分の夢を叶えたい」「自分が幸せになりたい」という“自分のための生き方”じゃ。
夢をひとつ叶えて、また次の夢も叶えて。
それをくり返していくといずれは“自分のための生き方”が満たされる。
“生き方ピラミッド”の頂上まで登り切った状態じゃ。
頂点の先にあるのがこの“他者貢献”。
登り切ったあと、そこからは“自分らしい人生”が「人や社会のためになりたい」「人を幸せにしたい」という“人のための生き方”になる。
“夢”から“他者貢献”へと切り替わるんじゃ。
“他者貢献”が自分の幸せとなり、自分の“生きがい”となる。
「これが自分の存在意義や使命なんじゃないか」と感じるものなんじゃよ。
なんかカッコイイね!
まあ自分の存在意義や使命じゃが、初めのうちはいくら探しても遠すぎて見えてはこないじゃろう。
自分の“生き方ピラミッド”が完成したら、おのずとその先にある”他者貢献”の輪郭がぼんやり見えてくるはずじゃ。
まずはいまのマナブにとって“自分らしい人生とはなにか”というところからこれから一緒に考えていこう。
【結論】幸せに生きる方法とは
“幸せ”のこといっぱい教えてもらったんだけどさ、最初のほうちょっとあやしいかも。
“人生の目的”が“幸せに生きること”で、
“幸せに生きる方法”は。。。
結局なんだっけ?
いっぺんにたくさんのことを伝えてしまったからな。
“幸せに生きる方法”は、“自分らしい人生を追求して、自分が幸せを感じやすい環境を自分自身で作ること”じゃよ。
いったんここまでをまとめておこう。
- “人生の目的”とは
- “幸せな人生”を送ること
- “幸せな人生”とは
- 人によって異なる
- 人それぞれの“幸せの形”がある
- “幸せな人生”を送るためには
- 自分にとっての“幸せの形”を追い求める(=自分らしい人生を送る)
- そもそも“幸せ”とは
- 自分の心が満たされた時に感じるもの
- “手に入れるもの”でなく“感じるもの”
- 幸せの種類は4つ(五感の幸せ、活動の幸せ、生存の幸せ、つながりの幸せ)
- 気をつけるべきこと
- “成功”と“幸せ”は別物
- “幸せな未来像”の思い込み
- “自分らしい人生”を送るためには
- 自分の“生き方ピラミッド”を作り、頂点にある夢を目指す
- 自分の“生き方ピラミッド”を作るためには
- 自己分析によって、自分の中にある“好きなこと” “得意なこと” “価値観” “夢”を知る
- “幸せな人生”を突き詰めると
- 最終的に行き着くのが“他者貢献”、それが自分の“生きがい”となる
- 【結論】“幸せな人生”を送る方法とは
- 自分らしい人生を追求し、自分が幸せを感じやすい環境を自分自身で作る
そっか!
“幸せな人生”を送る方法は、“自分らしい人生を追求して、幸せを感じやすい環境を作ること”だね!覚えた!
じゃが、“自分にとっての幸せな人生とは何か”について真剣に向き合って考えることで、まちがいなく幸せな人生に近づくとわしは信じておる。
じゃからマナブもわしとおんなじ考えでよいのなら、自分にとっての“幸せ”とはなにかを今後マナブと一緒に考えていきたいと思うんじゃがどうじゃろう?
だから自分の“幸せ”のことをこれからも考えることにするよ!
マナブの悩み
やりたいことが決められない
YouTuberっていう夢も“本当にやりたいこと”なのか自分でもよくわかってないし。
なぜやりたいことが定まらないのか。
それは“やりたいこと”というものは自分自身でもなかなか把握が難しいものなんじゃ。
たとえば
面白そうだから“やりたい”
自分が好きだから“やりたい”
自分が得意ですぐ成果が出るから“やりたい”
自分にとってお得だから“やりたい”
流行っててみんなやってるから“やりたい”
これらは全部“やりたいこと”じゃ。
こんなふうにいろんなケースがあるから「自分の本当にやりたいことってなんだろう」と定まらんのじゃよ。
本当の自分が求めておることじゃからの。
心の赴くままにやりたいことをやる
というのは、
“自分に正直でいること”
“自分らしい人生を送ること”
につながるじゃろう。
じゃが、若いうちは知識も経験も少ないから判断材料が少ないんじゃ。
自分の“やりたいこと”は自分の心を向き合って時間をかけて見つけていけばいいとわしは思っておる。
だってがんばりたい気持ちはあるんだよ?
でもなにをがんばったらいいのか。。
まだやりたいことが見つかっておらんのじゃったら、“好きなこと”と“得意なこと”からやるべきことを定めるとよいじゃろう。
“好きなこと”とは
自分の“本能”が根源となった“興味”のこと
“得意なこと”とは
自分の“個性”が根源となった“才能”のこと
じゃとわしは考えておる。
この2つはどちらも自分の人生においてとても重要なものじゃ。
- “好きなこと”とは
- 自分の“興味”のこと
- 自分の“本能”が根源となっている
- 基本的に変わることがある
- “得意なこと”とは
- 自分の“才能”のこと
- 自分の“個性”が根源となっている
- 基本的に変わることがない
じゃが、“本能”からなる“好きなこと”は自分の心の成長や時代の変化なんかによって変わることがあるものなんじゃ。
つまりじゃな、
好きなこと”と“得意なこと”の使い分け方は、
“好きなこと”は自分の心を豊かにするものじゃから、自分のために使う
“得意なこと”は新しい価値を生み出すものじゃから、人のために使う
これがわしの出した結論じゃ。
- “好きなこと”は
- 自分の心を豊かにするもの
- 自分のために使う
- “得意なこと”は
- 新しい価値を生み出すもの
- 人のために使う
“得意なこと”が人のため?
自分の得意なことを仕事にするというのがいちばん成果が出やすく、世の中のためにもなるし、自分自身もやりがいを感じられるんじゃよ。
悪いんじゃが、それだけ「得意なことに仕事にしている」に変えることはできるじゃろうか?
もし”好きなこと”を仕事にするとしても、わしとしては初めに”得意なこと”で自分の強みを活かせる環境を作ってからのほうがいいと考えておるんじゃがどうじゃろう。。。?
楽しく仕事できるっていうのがいちばんだからさ!
いまハカセが教えてくれた「“好きなこと”は自分の心を豊かにするから自分のために使う」てのも納得できたし!
そもそも得意なこととか才能がなんにもないんだ。。。
才能はだれしもあるものじゃからな。
じゃあぼくにもあるの??
じゃあ次回その話をしよう。
若いうちに知ってほしいこと
じゃが、最後にどうしてもこれだけ話しておきたいんじゃ。
時間の大切さ
マナブはどちらじゃと思う?
なんとなく“時間”って大切にしなきゃいけないものって感じがする。
わしも“お金”より“時間”のほうが大切じゃと思っておる。
もちろんこの議論には正解があるわけではない。
いろいろな意見や考え方があって良いと思う。
こうやって意見交換することで自分の価値観が見えてくるんじゃよ。
マナブはなぜ“時間”のほうが大切じゃと思うんじゃ?
そう聞かれるとなんでだろう?
うまく答えが出せないや。
わしは“お金”は“無限”で、“時間”は“
だって“時間”って減るって感じしないけど、“お金”は使ったらなくなっちゃうでしょ。
スーパーで数十円安い店に1時間かけて移動するというのがわかりやすい例じゃな。
そうやってみな時間を切り売りして生活しておる。
だからこそ“お金”があれば“時間”を短縮できるでしょ?
たとえば食器洗いを自動でやってくれるマシンを買ったらいつも手洗いしてたときより早く終わるとかさ。
そういう考え方もある。
じゃが、それは結局“時間”が目的で“お金”が手段になっておるとは思わないか?
じゃが
稼げばまたいくらでも手に入るものじゃ。
それに対して“時間”は過ぎてしまったら二度と手に入らない。
形がなくて目に見えないから使ってる感覚がないかもしれんのじゃが。
人生の“時間”は限られておって、どんな人でも必ずいつかは終わりを迎える。
“時間”は“命の代名詞”と言えるじゃろう。
すごく貴重なものなんだね。
少し前に“この壺は満杯か?”の話をしたが覚えておるか?
教授が壺の中に順番に岩とか砂利とかを入れて問いかけるやつだよね!
自分にとって価値の大きいものにいちばん人生の時間を使うことがなによりも大切、ということを教えてくれる素敵なお話じゃ。
あの話を聞いてすごく考えさせられたし、あらためて時間ってあっという間に過ぎちゃうもんだなって思ったんだ。
つまりわしが言いたいことは、
“時間”がどれほど大切なものかを若いうちに知ってほしい
ということじゃ。
じゃからこそマナブには。。。時間を大切にしてほしいんじゃよ。。。。。
ハカセの失敗談
そうやって自分を犠牲にしてでも“社会のために生きる”ということをしていれば「自分も周りもみんなが幸せになれる」と思っておったんじゃ。
でもそれはまちがいじゃった。
いつまで経っても心が満たされなくて「この生き方では自分は決して幸せにはなれない」と気づいたんじゃ。
“社会のために生きる”ということは、“自分を殺すこと”じゃなくて“自分を活かすこと”じゃったんじゃ。
それを気づいたときにはもうわしの年齢は40歳くらいじゃったじゃろうか。
じゃから、マナブにわしと同じまちがいをしてほしくないんじゃよ。
マナブには若いうちにいっぱいいろいろな挑戦や経験をしてほしい。
全力を出す人に対して笑ったり否定したりする人がいる。
はみ出る人に対して叩いたり冷ややかな目で見る人もいる。
そういう人たちの目を気にしたり波風立たせることを恐れたりし挑戦をやめる人がほとんどじゃ。
周りの協調性を持つことは大事だが空気を読みすぎて自分らしい人生ができなくなってしまうのは本当にもったいないことじゃ。
挑戦しない人が多いからこそ成功しやすい。逆転の発想じゃ。
現代の日本にはさまざまなものが溢れてかえっておる。
娯楽なんかもあふれんばかりにあるから溺れやすい時代と言えるじゃろう。
一方で便利なツールも豊富にある。
我々にとってはあたりまえにあってありがたみがうすれておるが、昔の人からしたらのどから手が出るほど欲しいものも山ほどあるじゃろう。
そういう恵まれた環境におるのはいまの時代の強みじゃ。
人生の時間は有限じゃ。
じゃからこそ大切な時間を計画的に使うということが本当に大事なんじゃよ。
そっか、だからさっきライフプランってのがあったんだね!
。。。もしかしたらわしが叶えられなかったことをマナブに
そう思ったら申し訳ないな。
重荷になってはおらんか?
ハカセの分までがんばるよ!
これからもいろんなこと教えてね!
もちろんじゃ、これからも一緒にやっていこう!
まとめ
今日のテーマは“人生の目的”について。
「“人生の目的”は“幸せに生きること”」とハカセは言う。
でも“幸せ”には人それぞれの形があるため、
「自分にとっての“幸せの形”を追い求めて
“自分らしい人生”を送ること」
それが“幸せに生きること”であり“人生の目的”である
というのがハカセの考え。
そもそも“幸せ”とはなにか。
ハカセの考える“幸せ”は大きく4つに分けられる。
- 五感の幸せ
- 目・耳・鼻・口・肌の感覚によって感じられる幸せ
- 例:美しい景色を観る、心地良い音楽を聴く など
- 生存の幸せ
- 食事や睡眠などの心身の健康によって感じられる幸せ
- 例:お腹いっぱい食べる、たくさん寝る など
- 活動の幸せ
- 思考や行動などの活動によって感じられる幸せ
- 例:夢中になれることをやる、やりがいのあることをやる など
- つながりの幸せ
- 人や動物などの生き物と関わることで感じられる幸せ
- 例:仲の良い友だちと話す、愛する人と時間を過ごす など
ハカセがマナブに気をつけてほしいことは2つ。
- “成功”と“幸せ”は別物
- “幸せな未来像”の思い込み
では、“自分らしい人生”とはどういうものなのか。
ハカセ曰く、“自分らしい人生”とは、
自分の持つ夢を叶えるために考えて行動し続けること。
マナブは“自分らしい人生”を送るためにどうすればよいのか、
それが気になってハカセに尋ねた。
するとハカセは“生き方ピラミッド”というものをマナブに見せた。
自分用の“生き方ピラミッド”を作って、それを目指すこと。
それが“自分らしい人生”を送るために導き出したハカセの答え。
“生き方ピラミッド”の構成はこのようになっている。
- 1段目が夢
- 2段目が価値観
- 3段目が才能(得意なこと)
- 4段目が知識・スキル
生き方ピラミッドを作るために必要となるのが“自己分析”。
自己分析で知るべきことは4つ。
- 夢
- 自分のありたい姿
- 価値観
- 自分にとって大切なものは何か
- 好きなこと
- 自分の興味が湧くこと
- 得意なこと
- 自分の才能が活かせること
自己分析はマナブが高校生のときに教えてもらうことになっていて、マナブもそれを受け入れた。
ただ、マナブには悩みがあった。
それは“やりたいことが見つけられないこと”。
ハカセが言うには、やりたいことが見つけられないのはそもそも“やりたいこと”というものの定義があいまいだからだという。
ハカセは“好きなこと”と“得意なこと”からやることを決めることをマナブに勧めた。
- “好きなこと”とは
- 自分の“興味”のこと
- 自分の“本能”が根源となっている
- 基本的に変わることがある
- “得意なこと”とは
- 自分の“才能”のこと
- 自分の“個性”が根源となっている
- 基本的に変わることがない
この2つの使い分け方としては、
“好きなこと”は自分の心が豊かになるものなので、自分のために使う
“得意なこと”は新しい価値を生み出すものなので、人のために使う
というのがハカセの考え。
ただ、マナブのなりたい大人像の条件の1つが
“好きなことを仕事をしている”というものだった。
ハカセは、そこだけ“得意なことを仕事をしている”に変えてほしいと、
少し申し訳なさそうにマナブにお願いしたが、
意外にもすんなりとマナブはそのお願いを快諾した。
でもその直後、マナブは曇った顔をして
「自分には才能がない」とハカセに打ち明けた。
ハカセは「才能はだれしもあるもの」と伝えた。
マナブは自分にも才能があることを知り、驚きを喜びを隠せなかった。
次回のテーマは“才能の見つけ方”についてと決まった。
ハカセとマナブは“人生の目的”や“幸せ”について長い時間じっくり語り合っていた。
だいぶ日が暮れてきたが、ハカセは最後にどうしても伝えたいことがあるという。
それは“若いうちに知ってほしいこと”。
ハカセは自身の失敗談を交えて、マナブに時間の大切さを伝えた。
自分と同じ過ちをしてほしくないという思いからのものだった。
マナブはハカセの過去の痛みを自分のことのように噛み締めて
“幸せに生きる”ために限りある“時間”を大切に使うことを心に決めた。